上掲背景写真の中央上部左が「安岡っ子の父なる山・オン鋤先(583m)」、右が「母なる山・メン鋤先(493m)」。そして、手前右側の山が「4つの名前を持つ山・御立山」(済生会病院の北隣に位置)です。
このホームページは、当初、30代半ばのまち協会員(正式名称は代議員)が自力作成・開設。その後、彼の指導を受けた70代の元若者が引き継いでHPのメインテナンスを行なっています。やればできます。老いてなお!
1. 以下に掲載するイベント・活動類は、ほぼ時季順(4月~3月)に並べてあります。
2. 下記のものは、通年事業です。
3. その他の安岡自慢
山口県下関の安岡地区をもっと楽しい街にしたいという人が集まり、話し、わくわくする街にするための団体です。仲間募集中♫
安岡地区は山陰線の下関駅から3駅目《梶栗郷台地》と4駅目《安岡駅》になります。
安岡海水浴場は毎年夏になると、家族や子ども達がたくさん泳ぎにきます。
幸いなことに、安岡地区は一小学校一中学校ということもあり、同郷意識、郷土愛が強い地域です。
~ふく~をもたらす下関の河豚をモチーフにした『ふく凧』。
山口県下関市の我社のある安岡町に伝わる河豚の形をした凧、「ふく凧」。安岡町は古くから凧揚げが盛んな地区で、約50年ほど前に地元の凧愛好家・安本実 氏が下関の特産品である河豚をモチーフにした凧を作ったところ、全国から注文が殺到。大空に舞って人々に福をもたらし、部屋に飾っても福を招く、として安 岡を代表する郷土玩具に成長しました。口の部分がくりぬかれたユニークな表情です。
丸凧が安定するように考えられたもの。
ふく凧は安岡ふく凧会の若松さんが技術を受け継いで製作を続けています。
関東の方では河豚を「ふぐ」と呼ぶのが一般的ですが、西日本では濁点をつけずに「ふく」と呼ばれます。「ふぐ」は不遇につながる、だとか、「ふく」は福となる、などの縁起をかついで、こうした呼び方となったそうな。
安岡小ねぎは、明治時代に豊臣秀吉によるふぐ禁食令が、伊藤博文により下関で解かれて以来、ふぐ料理の薬味として下関安岡町で改良生産され続けてきました。気候風土も相まって、極細でやわらかく芳醇でくせのないねぎは、ふぐ料理には欠かせせない名脇役と言えます。
「住民自治によるまちづくりの推進に関する条例」(27年1月施行)に基づき、昨年12月、安岡地区の諸団体代表者が一堂に会し、「まちづくり協議会」を設立いたしました。
(1)まちづくりの目標
まちづくりの目標は、私たちが住み続けたいと思うまち、他所の人々が移り住みたいと思うまち、憧れ羨ましがられるようなまちにすることです。
(2)事業内容、取組み方針
事業は、①広報、広聴に関する活動、②子ども見守り、防犯、防災、交通安全に関する活動、③環境保全及び美化、青少年健全育成、文化推進に関する活動、④地産地消、産業振興に関する活動、⑤独居・高齢者の見守り、健康、福祉に関する活動の5部門から成ります。
これからの運営に当たっては、安岡の特色を生かしつつ、われわれの能力に合った等身大の計画を立て、焦らずゆっくりと着実に実行していきます。
(3)まちづくりの主体(だれがやるのか)
まちづくりを成功させるためには、住民がすすんで参加することが不可欠です。何でも行政任せはやめて、安岡で昔から言われている「めんめんのこたあ、めんめんでせえ(自分でできることは、自分でやれ)」精神を思い起こしたいものです。さらに余力のある人は、「お互い様精神(私が助けになれるならご協力しましょう)」で、人を助けようではありませんか。
参加し交流して人を知ることは、楽しく幸せなことです。人生を豊かなものにします。まちづくりは、人づくりでもあります。まちづくりに参加することを通じて、大人が社会性を取り戻し、高めていく。子供たちにも社会性や郷土愛が育つはずです。
このまちは、古くから住んでいる住民だけのものではありません。新しく移り住んだ人々も参加して、ともに、将来を見据えたまちづくりをしようではありませんか。安岡方言に「かたろーて行こう」「どうしんしょう」という言葉があります。「一緒に行こう」「一緒にやろう」という意味です。
多くの皆さんの事業への参加を歓迎します。